フィリピン大食いチャレンジ

超巨大レッチェプランに挑戦しました。KEEの食への執着心(笑) 

1.8キロ&1万カロリーOVER!!今回の企画も全てはEL蔵さんの無茶ぶりから始まります。ある日のこと。EL「KEEちゃんレッチェプラン好きだよね?」KEE「そうですよ(^^」EL「じゃたくさん作ってあげるよ♪」KEE「ありがとうございます ( ^^) 」ということで、2.3人分程度のレッチェプランを作ってくれるものかと思いきや、まさか、卵黄200グラム、コンデンスミルク600グラム、エバミルク600グラム、生クリーム400グラムを加えた総攻撃力1.8キロ&1万カロリーOVERの!!超巨大レッチェプランを用意してくるとは!!そしてこれを早食いする企画に挑戦しろとのこと。
フィリピンの歴史

フィリピンの歴史 ホセ・リサールの生涯と民主化運動に揺れるフィリピン

当時のフィリピンでは、修道会の搾取に反発する人々が反修道会運動を展開していました。リサールが帰国したころの1887年になるとマニラには植民地行政の改革を支持するスペイン政府の官僚がフィリピン総督府高官として派遣されてきました。反修道士運動は、これら改革派の総督府高官の協力を得てますます過激になりました。しかし、彼らが修道士に加えて大司教追放のデモを行ったことで、スペイン官吏の反発を買って、反修道会運動は一転して危険思想とみなされることとなりました。リサールは消極的ではありますが、当時の総督テレロ(在任期間1885-1888)に支持されていました。この動きにはフリーメーソンの影響が大きくかかわっていました。リサールを理解していたテレロ総督もフリーメーソンのメンバーでありました。しかし、ノリ・メ・タンヘレが反植民地的だとスペイン植民地支配層から問題にされて、リサールは身の危険を感じたためにテレロ総督の自主的な国外退去の勧めも受けて、1888年27歳の時に再び留学へ旅立ちます。
作って食べるフィリピン料理

豚の血を使った栄養満点のスープ!!ディヌグアン 精力つきそう(笑)

さて気になるお味の方は!!豚の血を使っているせいか味に深みがあり、豚バラとの組み合わせが抜群です。今回も本場調にお酢をたくさん入れたので酸味は強めです(^^ただ、モツを入れたのは少し失敗でしたね。あまり、マッチしませんでした(-_-;)でも豚の血を食べれるなんて貴重な経験でした(^^全く臭みもなく食べやすく美味しかったです。
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フィリピーナ恋愛実話

フィリピンパブとKEE第一話 フィリピン人との接触(プロローグ)

私は、フィリピンパブでボーイとして働いております。ボーイというのは、キャストとお客様あっての存在。キャストとお客様の過ごす一時のために陰ながら精一杯サービスをご提供する。そんな華やかな夜の世界の黒子なのです。そのボーイである私が、あろうことか、お店のキャストのフィリピーナに熱い慕情を抱くなんて。私の犯したこの罪は許されるのでしょうか。最愛の彼女にはものの見事に、振られましたけどね。フラれてもなお、依然として僕の胸には、熱い何かが渦巻いています。今回からは、私がフィリピンパブで働きながら、あろうことに、お店のフィリピーナに恋に落ちて、フラれるまでのストーリーを恥も外聞もなく書いていこうと思います。
作って食べるフィリピン料理

フィリピンの料理、豚皮を揚げたフィリピンのおつまみ!!チッチャロン

フィリピンでの定番のおつまみである、豚の皮を揚げたスナックの様なチッチャロン(チチャロン)をご紹介します!!チッチャロンは、スペイン、ラテンアメリカ、フィリピンなどのスペインの影響を受けた国や地域で食べられてます。チッチャロンは通常、豚の皮から作られていますが、マトン、チキンやまたは他の肉からも作られることもあります。フィリピンでは、サリサリストア(sari-sari store)などで売られています。また、麺料理のトッピングとしても使われています。ではそんなチッチャロンを作っていきます!!まずは、国産豚皮をスーパーで購入。
フィリピンの歴史

征服者レガスピによるフィリピンの征服 1564年~征服の始まり~

マニラ市設置当時のマニラには日本人も20人ほど住んでいたとの記録もあります。また、1591年には、当時の日本の支配者であった豊臣秀吉が、長崎で貿易を営む商人原田喜右衛門の部下である原田孫七郎を使者として、スペイン領フィリピンに日本国への朝貢を要求する内容の書状を持ってマニラのスペイン領フィリピン総督の下へ派遣しました。1592年には、豊臣秀吉によって朱印船貿易がおこなわれ日本人がスペイン商人を相手とする通商が発展していきました。貿易に従事する多くの日本人が東南アジアに移り住み各地で日本人町を形成し、フィリピンにもマニラなどに日本人町が作られました。マニラ市設置当初には20人ほどだった日本人居住者も17世紀には1500人、最盛期には3000人にもなりました。日本では有名なクリスチャン大名の高山右近も日本追放によってマニラを訪れ、当時のフィリピン総督らが歓迎しています。しかし、1633年から順次施行された日本の鎖国令によって、これらの都市は衰えます。この後、サルセド総督統治時代のフィリピンを日本の川淵久左衛門が訪れており、1671年の口述筆記『呂宋覚書』として残されています。
フィリピンの歴史

フィリピンにおけるスペイン植民地 333年の歴史 過酷で非常な時代

スペインはフィリピンの植民地化によってフィリピンの原住民社会を破壊します。そしてキリスト教化を進めていきます。このスペイン植民地時代のフィリピンを知るための重要なキーワードとフィリピンの人々がそれに対して起こした著名な反乱などを取り上げていきたいと思います。
作って食べるフィリピン料理

フィリピン人のソウルフード!!シチューの様なカレカレ(kare-kare)

ピーナックリームがたくさん入っていますので、ピーナッツの香りと味が特徴的です。甘みがあり、コクのあるマイルドな味わいです。冒頭でも書きましたが、本場では、たくさんのバゴーンをカレカレに入れて食べるみたいです。では、バゴーンを大量に入れて食べてみます!カレカレのマイルドな味にバゴーンの海の香りと塩辛さが加わり、癖になる味わいです!!個人的には、カレカレ単品だと刺激が少ないので、バゴーンと組み合わせるのはいいチョイスだと思いました!!
作って食べるフィリピン料理

フィリピンの子供たちに人気のキャラメル風キャンディーのイェマ(Yema)

イェマ(Yema)の語源は、スペイン語で「卵黄」を意味します。他の卵黄ベースのフィリピンのお菓子のように、イエマはスペインの建築材料に由来しています。卵の殻からできる「卵殻カルシウム」は、スペインにより建築材料として使われていたそうです!(現在でもこの卵殻カルシウムはセメントなどの建築材料に使われています。)フィリピンの人達は、建築材料として使われない、残り物の卵黄をさまざまな料理に再利用しました。フィリピン料理には食べ物を無駄にしない精神が溢れていますね!このイェマは、濃厚な甘みが美味しいフィリピンの子供たちにとても大人気のお菓子です。そんなイェマを作って食べていきます!
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フィリピンの精力食品 バロット早食いチャレンジ企画・アヒルの卵10分で何個たべれるか⁉

10分でバロットを何個食べれるのか!?EL蔵さんの無茶ぶりから始まったこの珍企画。フィリピンの珍味バロット(孵化直前のアヒルの卵)を10分の制限時間内に何個まで食べれるかという企画にチャレンジしてみた次第です。バロットには滋養があるようなので、食後、私の息子が盛んになるか心配でしたが案外、そんなこともなかったですね ^^)さて、醤油、塩、ケチャップ、マヨネーズ、タバスコ、七味唐辛子といった調味料を並べて、大皿に山盛りのバロットを前にいざスタート。一つ目のバロットは、通の人が良く飲むのですが、卵の中のスープ(雛の排泄物らしい。)を飲んでから塩をつけて頂きました。ん??((-_-;)生臭い。硫黄のような匂いも鼻に広がります。日本で嫌いな食べ物が少ないという人も初めてこれを食べたら高確率で戸惑う味です。
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