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フィリピンにおけるスペイン植民地 333年の歴史 過酷で非常な時代


原住民の3重苦 貢税・奴隷化・強制労働 

スペインにより高い税金を納める義務を課された原住民ですが、これは当然人々の生活を苦しいものさせてしまいます。貧しい人たちは裕福な首長等から借金をして、貢税を払った彼らは首長の奴隷になってしまいます。スペインの持ち込んだ経済制度が彼らを奴隷にしたのです。他にもポロと呼ばれる強制労働によって原住民は酷使されます。16歳から60歳までの原住民男子が年間40日間、公共土木工事や造船作業、鉱山での作業に駆り出されました。ポロに従事する労働者には表向きにはわずかですが、賃金が支払われることになっていました。しかし役人の着服により多くの場合支払われずに、奴隷のような強制労働させられていました。この過酷な労働は原住民の働く意欲を阻害して、彼らを貧民の地位に落としていきました。このようにして、貧富の差が原住民の中でどんどん拡大していきます。

スペイン植民地時代のフィリピン

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ガレオン貿易 

ガレオン貿易とは、マニラとメキシコのアカプルコとの間で約250年間継続された貿易です。中国製生糸絹織物、インド産綿布を中心とする東洋の品物をマニラを中継地点として輸出して新大陸の銀を輸入することを主な目的としていました。このガレオン貿易はフィリピンにおけるスペイン人の経済活動の大半を占めていました。後に紹介する修道会も、このガレオン貿易で莫大な利益をあげていました。しかしフィリピンの中での経済活動や資源開発には関心が払われませんでした。

ガレオン貿易とは、マニラとメキシコのアカプルコとの間で 約250年間継続された貿易です。

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修道会 

フィリピンのキリスト教布教は、スペイン国王により任命された修道会が担当していました。スペイン本国からフランシスコ会、イエズス会、ドミニコ会などの修道会が来島して、各地に教会を作り、インフラを整え、布教に励みました。フィリピンのキリスト教布教に重要な役割を果たした修道会ですが、 スペイン本国から満足な活動資金を得られなかったこともあり、資金集めに没頭するようになります。修道会は国王からのフィリピンでの土地の贈与、亡くなった信者からの土地の寄贈などによって大規模な土地所有者となります。加えて、そこで働かせている小作人などに高い税金や法外な土地代、強制労働などを課しますが、このような修道会の搾取に対して原住民の不満が溜まります。この不満は19世紀のフィリピン革命の時期に一気に爆発します。修道会は、キリスト教を広める貢献は果たしたが堕落していったということですね!

フランシスコ会、イエズス会、ドミニコ会などの修道会が 来島して、各地に教会を作り、インフラを整え、布教に励みました。

長期にわたるスペイン支配の中でたくさんの反乱が起こります。貢税の徴収や強制労働による搾取だけが、反乱の原因となったわけではありません。キリスト教の布教後では、キリスト教の枠内での修道会の権力に反抗するものも出てきました。ここでは大きな反乱運動についていくつか取り上げていきます。

85年間も続いた反乱 ダゴホイ事件 

1744年ボホール島でダゴホイというイナバカンの町長がこの反乱の中心人物です。異教徒との決闘で死んだダゴホイの弟の埋葬を神父が拒否した事が火種となって起こります。日頃の教会の不正と圧政に大きな不満を持っていたボホール島の人々が3000人集まり、ダゴホイを中心として決起して神父を殺して山へ立てこもりました。ダゴホイ死後もスペイン軍に完全に制圧されるまで、この反乱は、なんと85年も続きました!

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イギリスと組んで反乱ディエゴ・シランの反乱

 ヨーロッパで起こった七年戦争がフィリピンに飛火して、イギリス軍が1762年から1764年までマニラを占領します。このフィリピンの情勢が不安定な時期にイギリスの支援を受けたディエゴシランという人物が、スペインに対して反乱を起こします。その後、シランは暗殺されますが、彼の遺志を継いだ美貌の妻マリア・ホセ・ガブリエラが、先頭に立って戦います。 しかしガブリエラも1763年に、スペイン軍に処刑されて反乱は収束します 。イギリス軍は七年戦争の終結とともに、1764年スペインと和平を結んでマニラから撤退していきました。 

※7年戦争 

1756年から1763年までの7年間続いた、ヨーロッパの国々を二分した戦争。交戦国の植民地も戦地となりました。初の世界対戦と言われた戦争です。



フィリピン民主主義運動の分岐点となった ゴンブルサ事件 

1872年マニラのカビテ地区の労働者が、当時の総督のラファエル・イスキエルドの政策に抗議して暴動を起こしました。イスキエルド総督をはじめとするスペイン人支配層は、背後にフィリピン人神父の扇動があったものとみて1872年2月17日その代表格である、ブルゴス、マリアノ・ゴメス、ハシント・サモラの3人の神父を公開処刑にしました。

処刑されたゴメス、ブルゴス、サモラ の3神父

処刑されたゴメス、ブルゴス、サモラ の3神父

この事件はフィリピンの民主化運動に大きな影響を与えました。サールの晩年の長編小説エル・フィリブステリスモは、この事件を題材としています!スペインによる過酷な支配とそれに対しての反乱を経て、フィリピン人には民族意識と独立の意志が形成されていきました。次回はフィリピンのカリスマ・ホセリサールついてスポットを当てていきたいと思います。

ホセ・リサール

ホセ・リサール

 

 

参考文献:

鈴木 静夫早瀬 晋三  フィリピンの事典 (同朋舎出版) 

鈴木 静夫 フィリピンの歴史「盗まれた楽園」と抵抗の500 (中公新書)

wikipedia

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