えるぞう

作って食べるフィリピン料理

チーズケーキ風味の濃厚なフィリピン風プリン!!レッチェプラン!!

最初に、ボウルを用意して、そこに卵の白身を取り黄身のみを入れていきます。この作業が意外と難しくて、不器用な私は、ボウルの中に白身が混じってしまったり、黄身がつぶれてしまったりと大苦戦(;^ω^)そしてあさましい私は、使わない卵の白身を持ち帰りたい衝動に駆られました(笑)そんな卑しい衝動を振り切り、なんとかボウルに黄身のみを集めたら、泡立て器で黄身をよ~く混ぜていきます。こちらの作業大変。手首が痛くなります(-_-;)よ~くかき混ぜたら、コンデスミルク(加糖練乳)とエバミルク(無糖練乳)を投入します。
フィリピンの歴史

フィリピンを見つけた男・マゼランの最後の1か月間 フィリピン人なら知らない人はいない

マゼランは49人という少ない兵にもかかわらず戦闘に突入。これは完全に現地の人をなめてますね!これに対してラプラプ王側は1500人でマゼラン側を向かい打ちます。マゼラン側の船は岸から離れているので大砲は届かない上にラプラプ王側は火縄銃を防ぐために大きい盾で身を隠しながら矢に竹やりに棍棒、石と泥を雨霰と投げつけてきました。これにはマゼラン側もひとたまりもありませでした。30倍の数の敵に対しマゼランの兵はやがて敗走、マゼランの周りには6、7人ほどが踏みとどまって戦うだけになります。しかし多勢のラプ=ラプ王の兵の竹槍はマゼランたちの甲冑には中々通じずに、戦いは1時間に及びました。マゼランここで粘り強く戦います。でも重い鎧をまとって1時間も戦うなんてすごく疲れそうですね(;^ω^)
作って食べるフィリピン料理

夏のビールのお供に!お酢の効いた酸味濃厚な豚肉料理トクワット・バボイ

今年も蒸し暑かった夏。暑い季節には夏バテ防止に効果がある、お酢の効いた料理が食べたくなるもの。そこで、フィリピン料理で酸味が濃厚なトクワット・バボイを作ってみました。豚肉と厚揚げのあわせものですね!!これがとても美味しいので作り方も載せましょう♪本当に癖になる美味しさですので興味がおありの方は、ご自宅でこのレシピを見て挑戦してください。材料は、普通にスーパーで売ってますよ!
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フィリピーナの特徴と愛し方

フィリピーナ 特徴と愛し方③ 謝らないフィリピーナ エピソード編

世界で謝らない国No.2フィリピン!!前回の記事 フィリピーナの魅力について 今回はフィリピーナが謝らないということをメインにお話します!フィリピンの人たちは本当に謝りません。仮に謝るといっても金と権力に謝る!!という感じが見受けられます。...
フィリピーナの特徴と愛し方

フィリピーナの特徴と愛し方④ピン中の目覚め?何処からピン中になったか?

━ 急げ、ドメインは早い者勝ち! ━━□■■お名前.comフィリピン・フィリピーナ中毒=ピン中前回の記事 フィリピーナは謝らないというお話今回はフィリピンとフィリピーナを愛してやまない、フィリピン中毒者=ピン中といわれる人達についてお話して...
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フィリピン共和国大統領・第16代 ロドリゴ・ドゥテルテ フィリピンのトランプと言われた男

彼は1945年3月28日に、レイテ島の南のマーシンで弁護士の父親と教師の母親から生まれました。父親ビセンテ・ドゥテルテはダバオ州の知事を務め、マルコス政権の時に内務相にも務めていた。母親は権威主義大統領マルコスを追放し、フィリピンに民主的支配を回復させた「人民権力」運動で重要な役割を果たした活動家でした。彼の祖父は中国人系で彼自身も中国を喋れるわけではないが、聴いて理解が出来るようだ。小さい頃はかなりヤンチャだったと言われ、10代は喧嘩ばかりし、何度も警察のお世話になっており、高校は二回退学になっている。その頃のドゥテルテがどんだけヤンチャか分かるエピソードが有ります。同級生に家柄をからかわれ、学校の廊下で銃を発砲する事件を起こしている。そんなヤンチャな彼でも言いたくない過去が有ったみたいです。彼は未成年の時、司祭によって「性的虐待も受けた」と言って、司祭の名前公表している。ドウテルテは最初の奥さん(エリザベス・ジマーマン)と知り合うまで同性愛者だったと言っています。彼は最初の奥さんと知り合って「同性愛を直した」とも言った。
フィリピーナ恋愛実話

フィリピンパブとKEE第二話「ジュンと私」小説 フィリピン人女性に狂いだす

まだ私はこの先に待ち構えている破滅を知る由もなかった。ジュンにパパと呼ばれた、そのお客さんは2時間程、お店で飲んでいった。ジュンは、濃密な距離でそのお客様との話を楽しんでいる。ジュンの紅潮した顔がかわいい。ジュンからドリンクのオーダーを頼まれた時に、一番遠い距離にいた私だが、まるで走るかのように彼女のもとに向かってしまった。またドアが鳴った。お客さんがまた一人来店。このお客さんも彼女の指名のお客さんだった。その後にもう一人、ジュンのお客さんが来て、その日彼女には、3卓の指名があった。営業が終わると、ジュンは飲みすぎたらしくドレスルームで眠りに落ちていた。そんな彼女に水を飲ませようと私はドレスルームに入り水を飲ませてあげた。この子はいつも酔いつぶれているのだろうか?と思っていた時、私は驚いた。 彼女が、酒臭い黄色の液体を口から出していた。吐いていたのだ。これがジュンとの初めての出会いになる。
フィリピン大食いチャレンジ

超巨大レッチェプランに挑戦しました。KEEの食への執着心(笑) 

1.8キロ&1万カロリーOVER!!今回の企画も全てはEL蔵さんの無茶ぶりから始まります。ある日のこと。EL「KEEちゃんレッチェプラン好きだよね?」KEE「そうですよ(^^」EL「じゃたくさん作ってあげるよ♪」KEE「ありがとうございます ( ^^) 」ということで、2.3人分程度のレッチェプランを作ってくれるものかと思いきや、まさか、卵黄200グラム、コンデンスミルク600グラム、エバミルク600グラム、生クリーム400グラムを加えた総攻撃力1.8キロ&1万カロリーOVERの!!超巨大レッチェプランを用意してくるとは!!そしてこれを早食いする企画に挑戦しろとのこと。
フィリピンの歴史

フィリピンの歴史 ホセ・リサールの生涯と民主化運動に揺れるフィリピン

当時のフィリピンでは、修道会の搾取に反発する人々が反修道会運動を展開していました。リサールが帰国したころの1887年になるとマニラには植民地行政の改革を支持するスペイン政府の官僚がフィリピン総督府高官として派遣されてきました。反修道士運動は、これら改革派の総督府高官の協力を得てますます過激になりました。しかし、彼らが修道士に加えて大司教追放のデモを行ったことで、スペイン官吏の反発を買って、反修道会運動は一転して危険思想とみなされることとなりました。リサールは消極的ではありますが、当時の総督テレロ(在任期間1885-1888)に支持されていました。この動きにはフリーメーソンの影響が大きくかかわっていました。リサールを理解していたテレロ総督もフリーメーソンのメンバーでありました。しかし、ノリ・メ・タンヘレが反植民地的だとスペイン植民地支配層から問題にされて、リサールは身の危険を感じたためにテレロ総督の自主的な国外退去の勧めも受けて、1888年27歳の時に再び留学へ旅立ちます。
作って食べるフィリピン料理

豚の血を使った栄養満点のスープ!!ディヌグアン 精力つきそう(笑)

さて気になるお味の方は!!豚の血を使っているせいか味に深みがあり、豚バラとの組み合わせが抜群です。今回も本場調にお酢をたくさん入れたので酸味は強めです(^^ただ、モツを入れたのは少し失敗でしたね。あまり、マッチしませんでした(-_-;)でも豚の血を食べれるなんて貴重な経験でした(^^全く臭みもなく食べやすく美味しかったです。
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