フィリピンの歴史

フィリピンにおけるスペイン植民地 333年の歴史 過酷で非常な時代

スペインはフィリピンの植民地化によってフィリピンの原住民社会を破壊します。そしてキリスト教化を進めていきます。このスペイン植民地時代のフィリピンを知るための重要なキーワードとフィリピンの人々がそれに対して起こした著名な反乱などを取り上げていきたいと思います。
フィリピンの歴史

征服者レガスピによるフィリピンの征服 1564年~征服の始まり~

マニラ市設置当時のマニラには日本人も20人ほど住んでいたとの記録もあります。また、1591年には、当時の日本の支配者であった豊臣秀吉が、長崎で貿易を営む商人原田喜右衛門の部下である原田孫七郎を使者として、スペイン領フィリピンに日本国への朝貢を要求する内容の書状を持ってマニラのスペイン領フィリピン総督の下へ派遣しました。1592年には、豊臣秀吉によって朱印船貿易がおこなわれ日本人がスペイン商人を相手とする通商が発展していきました。貿易に従事する多くの日本人が東南アジアに移り住み各地で日本人町を形成し、フィリピンにもマニラなどに日本人町が作られました。マニラ市設置当初には20人ほどだった日本人居住者も17世紀には1500人、最盛期には3000人にもなりました。日本では有名なクリスチャン大名の高山右近も日本追放によってマニラを訪れ、当時のフィリピン総督らが歓迎しています。しかし、1633年から順次施行された日本の鎖国令によって、これらの都市は衰えます。この後、サルセド総督統治時代のフィリピンを日本の川淵久左衛門が訪れており、1671年の口述筆記『呂宋覚書』として残されています。
作って食べるフィリピン料理

アイスバイン(豚のすね肉)の丸揚げ‼フィリピンで定番のクリスピーパター

まず、丸ごとのアイスバインを揚げます。油が飛び散るのを塞ぐため、寸胴の鍋で強火7.8分ほど揚げていきます。揚げている途中、2回に分けて氷を投入します。氷を投入すると豚の皮に空気が入るのでパリパリとしたさわやかな触感となります。7.8分経ったらアイスバインを鍋から引き上げてペーパータオルで油をよくとってから食べやすいようにカットしていきましょう!カットしたらお皿の上に綺麗に並べ、レモンを添えて完成です(^^♪
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作って食べるフィリピン料理

チーズケーキ風味の濃厚なフィリピン風プリン!!レッチェプラン!!

最初に、ボウルを用意して、そこに卵の白身を取り黄身のみを入れていきます。この作業が意外と難しくて、不器用な私は、ボウルの中に白身が混じってしまったり、黄身がつぶれてしまったりと大苦戦(;^ω^)そしてあさましい私は、使わない卵の白身を持ち帰りたい衝動に駆られました(笑)そんな卑しい衝動を振り切り、なんとかボウルに黄身のみを集めたら、泡立て器で黄身をよ~く混ぜていきます。こちらの作業大変。手首が痛くなります(-_-;)よ~くかき混ぜたら、コンデスミルク(加糖練乳)とエバミルク(無糖練乳)を投入します。
フィリピンの歴史

フィリピンを見つけた男・マゼランの最後の1か月間 フィリピン人なら知らない人はいない

マゼランは49人という少ない兵にもかかわらず戦闘に突入。これは完全に現地の人をなめてますね!これに対してラプラプ王側は1500人でマゼラン側を向かい打ちます。マゼラン側の船は岸から離れているので大砲は届かない上にラプラプ王側は火縄銃を防ぐために大きい盾で身を隠しながら矢に竹やりに棍棒、石と泥を雨霰と投げつけてきました。これにはマゼラン側もひとたまりもありませでした。30倍の数の敵に対しマゼランの兵はやがて敗走、マゼランの周りには6、7人ほどが踏みとどまって戦うだけになります。しかし多勢のラプ=ラプ王の兵の竹槍はマゼランたちの甲冑には中々通じずに、戦いは1時間に及びました。マゼランここで粘り強く戦います。でも重い鎧をまとって1時間も戦うなんてすごく疲れそうですね(;^ω^)
作って食べるフィリピン料理

夏のビールのお供に!お酢の効いた酸味濃厚な豚肉料理トクワット・バボイ

今年も蒸し暑かった夏。暑い季節には夏バテ防止に効果がある、お酢の効いた料理が食べたくなるもの。そこで、フィリピン料理で酸味が濃厚なトクワット・バボイを作ってみました。豚肉と厚揚げのあわせものですね!!これがとても美味しいので作り方も載せましょう♪本当に癖になる美味しさですので興味がおありの方は、ご自宅でこのレシピを見て挑戦してください。材料は、普通にスーパーで売ってますよ!
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フィリピンが国家エネルギー緊急事態宣言!現地在住者・旅行者・投資家にも影響するエネルギー危機を徹底解説

はじめに2026年3月、フィリピン政府は国家エネルギー緊急事態宣言を発令しました。日本ではあまり大きく報道されませんでしたが、フィリピン国内では非常に大きなニュースとなりました。「またフィリピンで停電が起きるのか?」そう思った人もいるかもし...
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2026年最新|フィリピンで今何が起きているのか?

ドゥテルテ裁判・サラ弾劾・中国問題…激動するフィリピン情勢を徹底解説フィリピンでは現在、近年で最も大きな政治的転換点を迎えています。かつて強固だった「マルコス政権とドゥテルテ陣営」の同盟は完全に崩壊し、国全体を巻き込む政治対立へと発展してい...
フィリピンの歴史

フィリピンの歴史 アギナルドとフィリピン革命の挫折そしてアメリカの支配へ

アギナルドの亡命と帰還前回の記事ボニファシオと共にフィリピン革命を起こし、対立の末、ボニファシオを処刑した後に1897年11月ビアクナバト共和国を設立させたアギナルドは、その年の12月に、スペインとの和平交渉を持ち和平を受け入れます。その結...
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フィリピン共和国大統領・第16代 ロドリゴ・ドゥテルテ フィリピンのトランプと言われた男

彼は1945年3月28日に、レイテ島の南のマーシンで弁護士の父親と教師の母親から生まれました。父親ビセンテ・ドゥテルテはダバオ州の知事を務め、マルコス政権の時に内務相にも務めていた。母親は権威主義大統領マルコスを追放し、フィリピンに民主的支配を回復させた「人民権力」運動で重要な役割を果たした活動家でした。彼の祖父は中国人系で彼自身も中国を喋れるわけではないが、聴いて理解が出来るようだ。小さい頃はかなりヤンチャだったと言われ、10代は喧嘩ばかりし、何度も警察のお世話になっており、高校は二回退学になっている。その頃のドゥテルテがどんだけヤンチャか分かるエピソードが有ります。同級生に家柄をからかわれ、学校の廊下で銃を発砲する事件を起こしている。そんなヤンチャな彼でも言いたくない過去が有ったみたいです。彼は未成年の時、司祭によって「性的虐待も受けた」と言って、司祭の名前公表している。ドウテルテは最初の奥さん(エリザベス・ジマーマン)と知り合うまで同性愛者だったと言っています。彼は最初の奥さんと知り合って「同性愛を直した」とも言った。
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