フィリピン

フィリピンパブへ潜入

フィリピンパブ潜入レポート③ 東京都葛西・西葛西編 フィリピン料理も堪能‼

群馬県太田市、松戸市新松戸・五香に続いて、東京都江戸川区葛西・西葛西のフィリピンパブに潜入してきました!!このエリアもフィリピンパブがたくさんあり、賑わいのある繁華街です。大好きなフィリピンパブへ行く前に、いつもようにまずは夕食を済ませます。葛西駅周辺の美味しそうなフィリピンレストランを発見しました。
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フィリピンパブ潜入レポート① リトルマニラ・群馬県太田編 料理もうまかった

タ〇ガーの系列店ユ〇〇ースへ。ユ〇〇ースでは、なんと幸運なことに、おさわりをしても怒らず咎めない素敵な女の子に出会えたので、この運命的な出会いに感謝して彼女を指名♪彼女のナイスな〇〇〇〇を揉みほぐし匂いのパラダイス(匂パラ)を思う存分に堪能しました。そうこうしているうちに、夜も更けてお酒も入らなくなったのでお会計。こうして、3店舗に及んだ太田Pパブ巡りの夜は幕を閉じました。
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フィリピンパブ潜入レポート④ 東京都小岩編上手なピーナちゃんだらけ

一店目 セ〇〇レ〇ィース 異空間満点なフィリピンパブ前回の葛西に続きまして、東京都小岩のフィリピンパブに潜入してまいりました。小岩も以前はフィリピンパブのメッカといわれておりました。今でも一時の勢いは無いですが、フィリピンパブが多く存在して...
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フィリピンパブ潜入レポート⑤ 群馬県館林編エ〇〇子の巣窟(笑)

駆け付けで酎ハイを二杯、「ハァ〜美味い」つまみを注文して徐々にエンジンがかかっていく。3杯目、4杯目がなくなる頃、ふと頭に潜入がよぎり出します😁「いくかな?」私は思いツキのままお会計、時刻は19時半JRの駅に向かった。駅で缶チューハイ2本とつまみを買って、いざ!!乗車😁
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フィリピンパブ潜入シリーズ⑦ 青森県八戸市編 本州最北端のフィリピンパブ😲

■□━━ 急げ、ドメインは早い者勝ち! ━━□■■お名前.comフィリピンパブ潜入シリーズ⑦ 青森県八戸市編 本州最北端のフィリピンパブ😲今回は新幹線に乗り、3時間半掛けてのフィリピンパブ旅行‼フィリピーナが喜ぶお土産…◆日清 シーフードヌ...
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静かな女 ― 恋が執着に変わるまで ―第5章

第五章 結婚すれば変わると思っていた私は、フィリピンで経営していたKTVを、最後まできちんと閉めることができなかった。閉店すると正式に決めたわけでもない。スタッフ全員を集め、理由を説明したわけでもない。店の看板を下ろし、区切りをつけたわけで...
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静かな女 ― 恋が執着に変わるまで ―第4章

第四章 愛情が執着に変わった日レイナと別れてから、一週間ほどが過ぎていた。たった一週間だった。それなのに、私には一か月にも、半年にも感じられた。別れを告げた直後、私はこれでようやく楽になれると思っていた。毎日のように続いていた喧嘩。説明して...
フィリピーナ恋愛実話

フィリピンパブとKEE第一話 フィリピン人との接触(プロローグ)

私は、フィリピンパブでボーイとして働いております。ボーイというのは、キャストとお客様あっての存在。キャストとお客様の過ごす一時のために陰ながら精一杯サービスをご提供する。そんな華やかな夜の世界の黒子なのです。そのボーイである私が、あろうことか、お店のキャストのフィリピーナに熱い慕情を抱くなんて。私の犯したこの罪は許されるのでしょうか。最愛の彼女にはものの見事に、振られましたけどね。フラれてもなお、依然として僕の胸には、熱い何かが渦巻いています。今回からは、私がフィリピンパブで働きながら、あろうことに、お店のフィリピーナに恋に落ちて、フラれるまでのストーリーを恥も外聞もなく書いていこうと思います。
作って食べるフィリピン料理

豚の血を使った栄養満点のスープ!!ディヌグアン 精力つきそう(笑)

さて気になるお味の方は!!豚の血を使っているせいか味に深みがあり、豚バラとの組み合わせが抜群です。今回も本場調にお酢をたくさん入れたので酸味は強めです(^^ただ、モツを入れたのは少し失敗でしたね。あまり、マッチしませんでした(-_-;)でも豚の血を食べれるなんて貴重な経験でした(^^全く臭みもなく食べやすく美味しかったです。
フィリピンの歴史

フィリピンの歴史 ホセ・リサールの生涯と民主化運動に揺れるフィリピン

当時のフィリピンでは、修道会の搾取に反発する人々が反修道会運動を展開していました。リサールが帰国したころの1887年になるとマニラには植民地行政の改革を支持するスペイン政府の官僚がフィリピン総督府高官として派遣されてきました。反修道士運動は、これら改革派の総督府高官の協力を得てますます過激になりました。しかし、彼らが修道士に加えて大司教追放のデモを行ったことで、スペイン官吏の反発を買って、反修道会運動は一転して危険思想とみなされることとなりました。リサールは消極的ではありますが、当時の総督テレロ(在任期間1885-1888)に支持されていました。この動きにはフリーメーソンの影響が大きくかかわっていました。リサールを理解していたテレロ総督もフリーメーソンのメンバーでありました。しかし、ノリ・メ・タンヘレが反植民地的だとスペイン植民地支配層から問題にされて、リサールは身の危険を感じたためにテレロ総督の自主的な国外退去の勧めも受けて、1888年27歳の時に再び留学へ旅立ちます。
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