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フィリピン史上最初の連続殺人犯──フアン・セベリーノ・マラリ神父の闇

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はじめに:信仰と狂気の狭間で

フィリピンの歴史は、英雄と聖人に満ちている。しかし、影の部分にも目を向けることで、より深くその国の姿を理解できる。今回取り上げるのは、史上初の連続殺人犯とされるフィリピン人司祭、**フアン・セベリーノ・マラリ神父(Juan Severino Mallari)**である。彼の名は歴史書の片隅にしか登場せず、その実態を知る者は多くない。だが、彼が残した爪痕は深く、今なお語り継がれるに値するものである。


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第1章:スペイン植民地時代のフィリピンとカトリック教会の支配

スペインの植民地となったフィリピンは、1565年から1898年までの約330年間、カトリック教会の強い影響下に置かれた。教会は単なる宗教的な組織ではなく、政治・教育・医療・裁判といった社会制度をも統括する存在だった。教区司祭は地方のリーダーとしての役割を果たし、彼らの権力は時に地方総督をも凌ぐほどだった。

その中で、フィリピン人が司祭として教区を任されることは極めて稀だった。ほとんどの司祭はスペイン人か、他の植民地出身者だったため、現地人がその地位に就くことは、極めて象徴的な出来事だった。


第2章:マラリ神父の生い立ちと叙階

フアン・セベリーノ・マラリは、おそらく18世紀後半にルソン島で生まれた。正確な生年や幼少期の記録は残されていないが、スペイン統治下においてフィリピン人が神学校に入学し、叙階されること自体が非常に狭き門であったことから、彼が優秀で信仰深い若者であったことは想像に難くない。

1809年、マラリは正式にカトリック司祭として叙階され、後にパンパンガ州のマガラン(Magalang)教区を担当することになった。これは、フィリピン人司祭として初めてその地位に任命されるという、歴史的にも重要な瞬間だった。


第3章:書の才能と信仰、そして異常の兆候

マラリ神父は、単なる司祭ではなかった。彼は美しい書を記すことで知られ、教区報告書などの公式文書を装飾的にまとめていたことが記録に残っている。彼のカリグラフィーは高く評価されていた。

だが、その一方で、精神的に不安定な言動があった可能性が、後の事件から浮かび上がる。彼はある時期から、「母親が呪われている」「悪霊に取り憑かれている」と信じ込むようになった。そして、その呪いを解くために「犠牲(sacrifice)が必要だ」と考えるようになったとされている。

このような迷信や民間信仰は、カトリック教会の教義とは相容れないものであるが、当時のフィリピンの農村部では根強く残っていた。マラリ神父の精神は、教会の教えと土着信仰の間で引き裂かれていたのかもしれない。

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第4章:連続殺人──57人の命を奪った神父

1816年から1826年にかけて、マガランの町では不可解な失踪事件が相次いだ。行方不明になった村人たちの数は、10年でなんと57人にのぼる。村人たちは不安に駆られ、当局も調査を行ったが、決定的な手がかりは得られなかった。

事態が急展開したのは1826年、マラリ神父が病に倒れ、教区邸宅で療養していた時のことだった。掃除をしていた召使いが、血まみれの衣服や遺品、犠牲者の遺骨と思われるものを発見し、当局に通報。調査の結果、神父の部屋には多数の「儀式に使われた」と見られるアイテムも保管されていた。

マラリ神父は自白し、「母親の呪いを解くために、選ばれた魂を捧げる必要があった」と語った。この自白は、宗教的狂気にとらわれた者の言葉としか思えない内容だった。


第5章:裁判と刑罰、そして忘却

逮捕後、マラリ神父は精神鑑定のようなものを受けたとされているが、当時の制度にそれほど整った精神医療はなかった。彼は最初、マニラの刑務所に14年間収監された後、1840年に絞首刑に処された。死刑が執行された場所や、葬られた場所も明確には残されていない。

カトリック教会や植民地政府は、この事件を公にすることに慎重であった。**記録は断片的で、事件そのものが隠蔽された可能性が高い。**そのため、犠牲者の名前、数、犯行手口など、詳細が現代まで明らかにされていない。


第6章:なぜこのような事件が起こったのか?

この事件にはいくつかの要素が複雑に絡み合っている。

● 精神疾患の未診断

今日の基準から見れば、マラリ神父は統合失調症や妄想性障害を患っていた可能性がある。だが、当時は「悪霊の仕業」「悪魔に取り憑かれた」とされ、適切な治療もカウンセリングも存在しなかった。

● 権力の盲点

神父という地位があまりに強く、住民や行政も彼に対して疑いを持ちにくかった。宗教的権威が、事件の長期化を許した側面もある。

● 土着信仰との混交

カトリック信仰とアニミズム的土着信仰が融合し、異常な形で現れた例と見ることもできる。マラリ神父はキリスト教の司祭でありながら、呪術的な思考に取り憑かれていた。


第7章:フィリピンにおける連続殺人という概念

現代のフィリピンでは、欧米と比べて連続殺人の事例は非常に少ない。これは以下のような理由が考えられている:

  • 家族・共同体中心の社会構造:個人が孤立しにくい

  • 強いカトリック信仰と道徳観念

  • 精神疾患に対する偏見と隠蔽

  • 警察の捜査能力・統計の不備

その中で、マラリ神父の事件は極めて例外的であり、なおさら注目に値する。


第8章:現代における再評価と教訓

現代フィリピンでは、この事件は忘れ去られつつある。しかし、近年では心理学・犯罪学の分野で改めて注目されている。例えば、彼の事件は犯罪心理学の初期事例として大学で取り上げられたり、**「宗教的狂気と暴力の関連」**という観点で研究されたりしている。

また、地元ではマラリ神父の霊が未だに町をさまよっているという都市伝説も存在し、一部ではホラー映画の題材として取り上げられたこともある。


結語:歴史から目を逸らさず、語り継ぐことの意義

フアン・セベリーノ・マラリ神父の事件は、単なる猟奇事件ではない。それは、信仰・狂気・社会構造・歴史的権力が複雑に交錯する、非常に象徴的な出来事である。忘れ去られるには惜しい歴史の一幕だ。

私たちは、このような影の歴史からも多くを学ぶことができる。人間の弱さ、制度の脆さ、そして信仰の危うさ。マラリ神父の悲劇は、現代社会における「心のケア」や「権力の監視」にも一石を投じるものである。

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