フィリピン共和国

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フィリピン共和国大統領・第16代 ロドリゴ・ドゥテルテ フィリピンのトランプと言われた男

彼は1945年3月28日に、レイテ島の南のマーシンで弁護士の父親と教師の母親から生まれました。父親ビセンテ・ドゥテルテはダバオ州の知事を務め、マルコス政権の時に内務相にも務めていた。母親は権威主義大統領マルコスを追放し、フィリピンに民主的支配を回復させた「人民権力」運動で重要な役割を果たした活動家でした。彼の祖父は中国人系で彼自身も中国を喋れるわけではないが、聴いて理解が出来るようだ。小さい頃はかなりヤンチャだったと言われ、10代は喧嘩ばかりし、何度も警察のお世話になっており、高校は二回退学になっている。その頃のドゥテルテがどんだけヤンチャか分かるエピソードが有ります。同級生に家柄をからかわれ、学校の廊下で銃を発砲する事件を起こしている。そんなヤンチャな彼でも言いたくない過去が有ったみたいです。彼は未成年の時、司祭によって「性的虐待も受けた」と言って、司祭の名前公表している。ドウテルテは最初の奥さん(エリザベス・ジマーマン)と知り合うまで同性愛者だったと言っています。彼は最初の奥さんと知り合って「同性愛を直した」とも言った。
フィリピンの歴史

フィリピンの歴史3大偉人で誰が1番の英雄か?ボニファシオ アギナルド ホセ・リサール

アギナルドはリサールより8歳、ボニファシオより6歳若く、1869年3月22日カビテ州に生まれます。プリンシパリーア層出身で父親がカウイト町長であり、アギナルドも若くしてカウイト町長になります。1895年マニラを訪れた時にボニファシオと出会い、秘密結社カティプナンに加入します。1897年テヘロス会議においてボニファシオを失脚に追い込み、革命軍の指導者になりました。その後、各地でスペイン軍と戦い、ビアクナバト協約による停戦受諾後、香港に亡命します。帰国後はアメリカ軍と同盟してスペイン軍と戦い、1898年6月12日カウイトでフィリピン独立を宣言。1898年9月、ブラカン州マロロスで国会を召集し、憲法を制定して、フィリピン第一共和国の初代大統領に就任します。しかし、その後の米比戦争でフィリピン第一共和国は、アメリカに敗北してしまいます。捕らわれたアギナルドは、アメリカに忠誠の誓いを立ててしまいます。その後の第二次世界大戦期には、日本軍に接近するなど日和見的な行動が目立ちます。
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